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歴史の旅人のパスポート

イザベラ・バード

日本奥地紀行 · 1878

1か国
32地点
2,447km

地点を順に直線で結んだ距離

🇯🇵

1878年(明治11年)5月、46歳の英国人旅行家イザベラ・バードは横浜に上陸した。6月から9月にかけて、通訳の伊藤鶴吉だけを連れて日光から会津、新潟、山形、秋田、青森を抜け、北海道のアイヌの村まで旅した。10月からは神戸、京都、奈良、伊勢を回った。旅先から妹に宛てた手紙をもとに、1880年に『Unbeaten Tracks in Japan』(日本奥地紀行)が出版された。

  1. 1878-05
    🇯🇵 横浜

    汽船シティ・オブ・トーキョー号で18日間の航海の末に着いた。到着の朝、甲板からはるか高く雪をかぶった富士山を見たと最初の手紙に書いた。

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  2. 1878-05
    🇯🇵 東京(江戸)

    英国公使ハリー・パークスの公使館に滞在し、旅の準備を整えた。ここで通訳兼従者として伊藤を雇い、浅草の観音堂も見物した。

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  3. 1878-06
    🇯🇵 粕壁(春日部)

    6月10日、午前11時に公使館を出て人力車で23マイルを走り、午後5時に着いた。宿では障子ごしに人にのぞかれ、夜通しの物音に悩まされたと書いた。

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  4. 1878-06
    🇯🇵 日光 ›

    金谷善一郎の家に部屋を借りて滞在した。東照宮の陽明門を毎日のように見に行き、見るたびに驚きが増したと書いた。

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    SHRINES AND TEMPLES…JAPAN · WHC 913187836.76°N 139.60°E
  5. 1878-06
    🇯🇵 湯元

    源泉は華氏130度あり、リウマチを病む人々が湯の上に渡した板に何時間も横たわって湯気を浴びていた。標高4000フィートを超え、とても寒いと記した。

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  6. 1878-06
    🇯🇵 大内

    山王峠を越えた夜、養蚕農家と郵便局、継立所、大名の休息所を兼ねた家に泊まった。山に囲まれた谷にある美しい集落と書いた。

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  7. 1878-06
    🇯🇵 車峠

    日光を出てから越えた2000フィート以上の峠17のうち、最後の峠だった。ここから西への道はこれまで乗った中で最悪の道だと書いた。

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  8. 1878-07
    🇯🇵 津川

    ここから荷船に乗り、阿賀野川を下って新潟へ向かった。積荷の上に椅子を置いて座り、「津川の急流下り」と呼ばれる区間を下った。

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  9. 1878-07
    🇯🇵 新潟

    運河を舟で進んで町の中心に上陸し、県庁近くの英国教会伝道会の家でファイソン夫妻に迎えられた。

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  10. 1878-07
    🇯🇵 小松(川西町)

    町に入ると最初に会った男が引き返して外国人が来たと触れ回り、宿に着くころには大勢の人が集まっていた。米沢平野を「アジアのアルカディア」と呼んだのはこのあたりである。

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  11. 1878-07
    🇯🇵 山形

    人口21000の県都で、大通りの突き当たりに建つ白い新築の県庁舎に驚いた。通りは広く清潔だと記している。

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  12. 1878-07
    🇯🇵 金山

    杉に覆われたピラミッド形の山々に囲まれた盆地の町で、昼に着いたが、継立所の部屋が快適だったので1、2日とどまることにした。

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  13. 1878-07
    🇯🇵 院内

    上院内と下院内では脚気が流行し、7か月で人口約1500人のうち100人が亡くなっていた。久保田の医学校から医師2人が応援に来ていたと書いた。

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  14. 1878-07
    🇯🇵 久保田(秋田)

    病院では院長と医師6人に正式に迎えられ、医学生50人と院内を回った。180人が働き、その半分が女性という絹織物工場も見学した。

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  15. 1878-07
    🇯🇵 湊(土崎)

    久保田の港町で祭りが開かれていた。警察によればよそから来た人は22000人で、32000人の人出を巡査25人で警備していたと書いた。

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  16. 1878-07
    🇯🇵 白沢

    7月30日の朝、豪雨の最中にあたりが不気味な暗さに包まれ、皆既日食だと聞かされたと書いた。

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  17. 1878-08
    🇯🇵 碇ヶ関

    秋田と青森の県境を示すオベリスクが立つ矢立峠を越えて着いた。6日5晩雨が止まず、増水のため2日間足止めされた。

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  18. 1878-08
    🇯🇵 黒石

    七夕の行列を見た。大太鼓3つと小太鼓30、長い竿につけた数百の紙灯籠と高さ20フィートの大灯籠が、夜7時から10時まで町を練り歩いた。

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  19. 1878-08
    🇯🇵 青森

    黒石からの22.5マイルは泥道で難儀した。灰色の家と屋根、灰色の浜と湾の町と書き、ここから函館への船に乗った。

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  20. 1878-08
    🇯🇵 函館

    強風の中、60マイルを14時間かけて渡り、雨の函館港に入った。蝦夷地での旅はここを拠点とし、9月14日に蝦夷最後の日を迎えた。

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  21. 1878-08
    🇯🇵 室蘭

    森から蒸気渡船で25マイルを6時間かけて渡り、夜8時に着いた。宿の客引きが提灯を揺らして桟橋に並ぶ様子を書いている。

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  22. 1878-08
    🇯🇵 白老

    日が暮れてから着いた。和人の家11軒とアイヌの家51軒からなる海辺の村で、先に着いた伊藤が鮭を焼いて待っていた。

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  23. 1878-08
    🇯🇵 平取

    アイヌの首長ペンリの家に泊まり、アイヌの暮らしを記録した。崖の上に建つ社に案内され、義経の像に酒を捧げる礼拝を見た。

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  24. 1878-09
    🇯🇵 有珠

    入り組んだ有珠湾に出ると、岸に梵字を刻んだ大きな石が立っていた。官の用を務める親子が住む荒れた大きな家に泊まった。

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  25. 1878-09
    🇯🇵 礼文華

    礼文華峠の3つの険しい峠を越えて着いた。ここのアイヌは東の村々のアイヌと顔立ちも言葉の発音も違うと書いた。

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  26. 1878-09
    🇯🇵 長万部

    森から札幌への旧道に出たところで、背骨の痛みがひどく1日休んだ。日差しの中でもさびれて見える町と書いている。

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  27. 1878-10
    🇯🇵 神戸

    横浜から上海行きの郵便汽船広島丸で着いた。10月20日付の手紙では、宣教団の拠点としての神戸と外国人居留地を書いている。

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  28. 1878-10

    日本人の会社が外国人教師を雇って運営する京都の英学校を訪ねた。西本願寺では僧侶赤松に3時間かけて境内を案内され、浄土真宗について聞いたことを11月1日付の手紙に書いた。

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    ANCIENT KYOTOJAPAN · WHC 688187835.06°N 135.75°E
  29. 1878-11
    🇯🇵 宇治

    11月5日、ギューリック夫妻と京都を発ち、伏見稲荷に寄ってから宇治へ着いた。川に張り出した茶屋の2階で、紅葉した庭を見ながら昼食をとった。

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  30. 1878-11
    🇯🇵 奈良 ›

    霧雨の中、春日大社のある丘の森を歩き、鹿にせがまれて菓子を買った。8世紀の宝物を納めた木造の正倉院を見て、千年もの間焼けずに残ったことに驚いた。

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    ANCIENT NARAJAPAN · WHC 870187834.68°N 135.84°E
  31. 1878-11
    🇯🇵 山田(伊勢)

    京都から5日かけて伊勢神宮に着いた。翌11日には二見に回り、内宮を訪れて神道の巡礼を一巡した。

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  32. 1878-11
    🇯🇵 大津

    伊勢から津を経て東海道を通り、琵琶湖畔に着いた。11月15日は町の祭りの日で、大津自慢の13台の山車のうち3台が通りを引かれていくのを見た。

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